【コラム】2025年1月 ブレイクタイム
2025年1月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
----- 以下テキスト版-------
ブレイクタイム
今回は前に一回紹介した詩をもう一度、ゆっくり読んでもらえたらと思います。
ヘンリーヴォーンの詩「Affieotion」〈苦悩〉より、
Were all the year (一年中)
One constant sunshine (づっうと晴れの日ばかりなら)
We shoud have no flowers (花を見ることはない)
年中快晴の日ばかりだと花は咲かない
雨の日があるからこそ花は咲くのです
どんな花よりも
名もない道端に咲いている
そして自分で咲かせた花
自分好みの花でいいのです
花の美しさを競う必要はないのです
自分好みの花でいいのです
-好きな花を誕生日に添えて一
私はこの詩を目にしたとき、“そうだ”その通りだと思いました。どんな大輪の美しい花より、あなたが自分で咲かせた自分の花こそが一番美しい花だと。比べる必要はないのです。自分好みの花でいいのです。
あるお母さんは、子どもに大輪で美しい花を咲かせてほしいと、いつも子どもに言っていました。それが母親の願いでした。そんなきれいな花を自分は咲すことができるのだろうかと自問する毎日、できないかもと苦しくなることも。
そんなある日母親は玄関を出て、ふと足元の道端に咲いている小さな白い花が目に止りました。誰に知られることもなく、名もなき花ですがその花を美しいと思ったそうです。それから、母親は娘に大輪の美しい花をさかせてと、娘に要求することを止めたそうです。そして、娘の顔に笑顔がもどったという話を読んだ記憶が重なりました。
やっぱり
自分で咲かせた自分好みの花が一番美しいのだと思っています。どんな花だってあなたが咲せた花を「きれいだね」と言ってもらえたら、子どもは安心して頑張ろうと前を向けるのだと思っています。
「いじめ不登校そして......色鉛筆アティスト」けいとさんという記事を見つけました。(夕刊12/17) けいとさんは小5のときいじめにあいました。人間関係に苦手意識があり「嫌われるのが怖くて」「中学校時代は、自分からは、友達とは、ほとんど話せ なかった。」と 中3になると高校受験のストレスも重なって、不眠が続き、倦怠感や頭痛といった病状が続き起立性調節障害と診断され、2学期からは学校へ行けなくなった。
そんな時✕(エックス)で出会ったのが「写真のように、リアルな色鉛筆画」だった。僕も描きたいと憧れた。小学校のころから文字を書くのは、苦手で、授業中に板書を書くのを終らせることができず、先生に怒られた。一方、形や色の再現は得意で美術の時間は心の支えになったと。(つまり、けいとさんは、字を書くのは苦手だけど絵を書くのは得意で好きだったのです。何が好きかは、その人によって違うと思うのですが、誰にでも好きなことはあると思うのです。) そして、中学校を卒業して、通信高校で勉強したのですが、勉強よりも、✕(エックス)で知った色鉛筆画が好きで 1年を過ぎるころには、コカコーラのびんボトルの立体絵を描き、SNSにアップするとたくさんの反響があり、今では2色鉛筆アーティストが自分の仕事になり個展も開いているというけいとさんの記事です。
昔から「好きこそ物の上手なれ」という言葉があります。その「好きなこと」は「まねぶ」ことから始じまります。親がたのしそうな顔をしていることを子どもはちゃんと見ています。そして「僕、私もやってみたい」「おもしろそう」とまねするところから始まります。親が「これをやれ」と言っても心は動かないのです。親は将来のことを考えると勉強しなくてはと塾を進めるのですが、子どもは好きなことではないのです。けいとさんも親に言われ通信高校へ進学するのですがけいとさんは絵を追求しています。そんなけいとさんを見ているうちに、勉強ではなく、けいとさんの絵を応援するように親も変っていったのだと思うのです。 子どもにとって親の応援は何にも増して心強いことです。百人力です。
どんな花を咲かせるかは、子ども自身が決めることです。親がどんなに大輪の美しい花を咲かせてほしいと思っても、それは親の願いであって、どんな花を咲かせるか決めるのは子ども自身なのです。そして、子どもが咲せた花(どんな花であっても)親が 「きれいだね」と言ってくれたら、子どもにとってそれ以上のうれしいことはないのです。そんな思いで親が見てくれたら子どもは安心して自分の花を咲かせることができると信じています。
(花の美しさを競う必要はないのです)
(自分好みの花でいいのです)というヘンリーヴォーンの詩を送ります。
2025年元旦 竹内春雄
この情報は、「不登校を考える親の会 川崎の会」により登録されました。