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【コラム】2024年4月 不登校

公開日:2024年04月03日 最終更新日:2024年04月04日

2024年4月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。

竹内先生のコラム 2024年4月 (1.3MB)

 

-----  以下は参考。テキスト化したものです。-------

- 不登校 -  自己肯定感の大切さと不登校新聞の石井編集長の話から

 私が何も分からず不登校の親の会を始めた頃、高垣忠一郎先生の本を読みながらそうだと思いながら活動を始めたことを覚えています。最近その高垣先生の講演の抄録を読みながら、不登校のことを考えるとき高垣先生の話は不登校を考えるときの基本だと改めて思いました。それは自己肯定感を大切にするということです。その抄録の一部を紹介します。 
 「不登校の子どもたちの多くは、みんなが当り前に登校しているのに、自分だけ行けない情けない奴と自分を責め、親や先生を裏切り迷惑をかけている「ダメな奴」と嫌っています。こんな自分は消えてしまったほうがいいと存在を丸ごと否定している子どもも少なくありません。それほどに自信を失っているのです。彼らに欠けているのは自分の存在丸ごとが「在るがまま」肯定されるという安心です。不登校の子どもたちにとって、ほめられる経験よりも、失敗したり、挫折して「ダメな自分」になった時に『大丈夫だよ』 『それでもいいんだよ』という経験をすることがはるかに大事です。」と・・・
この『自分が自分であって大丈夫』という自己肯定感は、ある部分的な性能の良さを評価して自分を肯定するのではありません。丸ごとの自分の存在を『在るがまま』に肯定される自己肯定感であり、それは『人生の浮き袋』でもある。」と語っています。そして、「自分のつらさやしんどさを受けとめてくれる人がいない孤立感なのです。『自分』という存在は一生つきあい続けなければならない一番身近な存在です。しかし、多くの子ども若者たちが自分を丸ごとを嫌い受け容れられず、自分と共に生きることを拒否しています。同時に 『ダメな自分』を人前に出すことを恐れ、迷惑をかけると思いこみ自分のことを人に話せなくなっているのです。・・・
彼らに何より必要なのは、『他人と共にありながら、安心して自分自身であることができる』という人間関係の中に身を置くことです。それが彼らの居場所になるのです。その中で『自分は自分であって大丈夫』という自己肯定感が心に根を生し育ち始めるのです。ダメなところもふくめてあなたでいいんだよ」と・・・ 
しかし、世間の大人は大人の見方や評価を押しつけることが多いようです。良かれと思い、あれやこれやと、やることが親切なのだ。子どものためになると思いこんでいます。そして先回りして『あしろ』『こうしろ』と子どもに言う癖があります。そうではなくあるがままの子どもに共感的に耳を傾向け、寄り添う関係性の中で『自分は自分であって大丈夫』という自己肯定感が育っていく中で前を向いていけるのです」と・・・
 私も高垣先生のお話に共感している一人です。現代の競争的な社会の中で「ダメだ」「自分は何もできないどうしたら」と悩む子どもに、自分の考えを伝えるのではなく「大丈夫だよ。いつでもあなたの味方だよ」というメッセージは、きっと子どもに伝わっていくと思うのです。ダメなんかじゃない。いつも応援しているよ。「あなたの味方だよ」いう気持ちは、きっと子どもに伝わっていくと思っています。「あなたの好きなことでいいんだよ」と。・・・ 
 不登校新聞の講読数が減少して紙版「不登校新聞」が5月15日号をもって配信停止になり、NPO法人全国不登校新聞社は解散することになったそうです。そして、WEB版「不登校新聞」発行は継続とのことで編集長はそのまま石井しこうさんです。今回石井さんの講演抄が掲載されていたので紹介します。 
 「私は小学校のころ中学受験のため塾に通っていました。偏差値50以下は将来がないと言われ何時間も勉強するストレスのなかで生活していました。」と「結果としてすべて落ちてしまい勉強ができない人間はダメな人間という差別意識が受験を通して生まれました。差別は、他人に向けられることもありますが、自分自身にも刃を向けるんですね。受験に失敗した私は強い自己否定感を抱くようになりました。進学した公立中学校ではいじめにあい、すべてがうまくいかず、当時、号泣しながら『学校へ行きたくない』と言ったとき、母はただ事ではないと思ったのでしょうか『わかった』と言って、休むことを提案してくれました。当時『死にたい』と、何度も追い詰められたのですが、休むことで状況は変わり始めました」・・・
子どもが学校へ行かなくなる時は必ず予兆やSOSはあります。ただ予兆やSOSは言葉にはならないことが多いです。体調不良や不眠。食欲不振やや情緒不安など身体病状として現われます。とくに10代では『つらい』という感情を言葉にするのが難しいのです。だから、もし子どもが『学校へ行きたくない』と言ったときは、もう限界を超えるほどつらいんだと思ってください。」と続けていますが⦅私もその通りだと思うのです。「行きたくない」と子どもが言うときは限界を超えているんだと⦆「親が子どもによく話すことは『歯みがいた』『宿題した』『そろそろゲームやめなよ』などなど、これは対話ではなく、一方的な『注意』なんです。注意も必要なときもありますが、意識して『雑談』をしてみてください。」と。(たぶん 体験からでている言葉かな) また「不登校の子どもが一歩踏みだすときは、それは子どもが「ひまだな」と言いだしたとき、『ひまだ』『退屈だ』『やることがない』これは、子どもが何か新しいことをやりたい気持ちの現われです。」と話しています。・・・ 
「最後にお伝えしたいのは、私は14才のとき学校へ行かなくなり、人生が終ってしまったと感じました。『自分はこの先どうなっちゃうだろう』と、とてつもなく不安におそわれました。」と・・・・「それから30年、同世代の不登校経験者と飲み会をしましたが皆が悩んでいたのは、社会性や学力や協調性ではなく痛風などの健康問題でしたと」そして、最後の言葉が「ふつうの大人だよ」でした。「学校へ行かなかったことで苦労しました。しかし、結果として悪くない人生だったと思っています。」と語っています。⦅自己否定感では前を向けないのですが、自分では「自分であって大丈夫というありのままの自己肯定感があれば、大丈夫と思っています。⦆

2024年3月24日、竹内春雄

 

この情報は、「不登校を考える親の会 川崎の会」により登録されました。

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