【コラム】2024年2月 子どもが不登校、そのとき親は!!
2024年2月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
----- 以下は参考。テキスト化したものです。-------
子どもが不登校、そのとき親は!!
子どもが不登校になったとき親はその不登校のことをどう考えていけばよいのだろうか不登校新聞(2023年12月15日号)を読んで2つの記事から紹介してみたいと思います。
ひとつ目は"お母さんのほけんしつ”を開設している土橋優平さんの記事からの抜粋です「親御さんにかぎらず、先生も私たち支援者も『この子が不登校だから』といういつの間か子どもたちを色眼鏡で見てしまうことがあります。不登校・発達障害・HSCなど、そうした世間的なネガティブな印象の強い言葉に引っ張られて、必要以上に心配してしまうのです。色眼鏡というのは、人が持つ固定観念であり、先入観でもあります。
・・・・・しかし、不登校という色眼鏡をかけて、子どもを見た瞬間から彼らの個性や思いは見えなくなってしまいます。子どもたちは本当にカラフルなのに色眼鏡をつけるがゆえに、『不登校になってしまうかも』という心配の色でしか見えなくなってしまうのです。ではどうすればよいのでしょうか。それは『子どもの声を聞くということです』。今、子どもは、何を感じているのか、何を考えているのか、何が楽しいのか、何が悲しいのか。どうしたいのかなど、子ども本人の声を聞くことが大切なのです。・・・・・
例えば、学校へ行かずにリビングでゴロゴロ、スマホを見ている姿を見て『もういいかげんにしなさい』と。でも、その子が見ていたのは、不登校経験のある芸能人の当事者のメッセージでした。色眼鏡をつけずに「今あなたは何を見ているの?」と聞けば反応も違っていたのかも・・・・『こうだろう』『こうなるかもしれない』と決めつけずに正面から”子どもたちの声を聞くこと”がそこに評価を加えず、ただ聞くに徹すること色眼鏡を外し、話を聞いてもらえることが子どもたちの生きていく支えになるのです」
土橋さんの文章を読みながら、自分(親)の考えは置いて、なによりも大切なのは 「子どもの声を聞く」ことの大切さを改めて思っています。子どもが学校へ行かないと言いだしたとき、どの親も「どうしたら」「大変だ」と訳も分からず、あわててしまいます。そして「なぜどうして」と考えます。子どもも訳も分からず、説明できるはずもなく聞かれれば聞かれるほど、自分がいけないのだと、閉じこもることになります。そして親はいろいろな眼鏡をかけてみたくなります。眼鏡があわないなと思えば次の眼鏡にかけ変えて、そのうちに子どもの心が見えなくなっていきます。
だから世間の色眼鏡ははずして「子どもの声を聞くこと」その小さな子どもの心の声を聞きのがさないように、聞くことに徹した親の姿に気づいたとき、子どもは自分から自分の言葉で語ってくれるようになると思うのです。
子どもの声を聞くことを大切にしている親の思いは言葉ではなくその気持ちがあれば子どもはきっと気づき、感じて、安心できるのだとも思うのです。そんなことを考えました。
二つ目はかって不登校を経験したことのある母親が息子が小1~小3で不登校になった経験を語っている手記が載っていたので紹介します。
「私は4人の子どもを持つ母親です。長男が『もう小学校なんかやめる』と言い放ったのが、小学校へ入学したばかりのときでした。給食をムリやり食べさせる。授業中に児童を大声で叱るなど小学校入学を心待ちにしていた長男にとって小学校という場所は毎日通いたいと思える所ではなかったようです。『学校へ行きたくない』という息子の姿が子どもの頃の自分と重なりました。私は学校・地域・親戚・家族から『おかしな子・問題児』というレッテルを貼られて生きるしかありませんでした。周囲の大人たちからのさまざまな言葉の暴力や毎日、叩かれ、ムリやり学校へ連れていかれる経験はこれでもかというほど私の自己肯定感を引き下げました」と・・・そして 私は息子の『学校へ行きたくない』という言葉を聞くたびに『困ったな』という親としての心配と同時に『息子はまちがっていない』という揺ぎのない思いが心から湧き上がってくるのを感じました。たとえどんな理由であれ、たとえ理由が言語化できなくても。子どもが学校へ行きたくないと言ったら、それが真実です。私自身の経験を活か
さなければ何のために親として存在しているのかと自問しました。・・・・私は母親として私の不登校のときに言ってほしかったことを息子に伝えようと思いました。『お父さんも、お母さんも、誰よりもあなたの味方だよ。学校へ行きたくないという、正直な気持ちを伝えてくれてありがとう』と伝えました。そのときの息子の心からの安心した表情は今で
も忘れません。私は学校に通えることが、すべての解決だとは思っていません。どんな状況であれ、子どもは学校を休む権利があるのです。長男の一件があってから、わが家では学校は『自由登校』という位置けにしました。」と ・・・・と書いています。
土橋さんは不登校の子どもに投げかけられる言葉を色眼鏡をかけて見ると表現していますが、二つ目の母親は自分が体験して聞いた言葉を思い出し、レッテルと表現しています。子どもにとって、親から、先生から、大人から投げかけられる言葉は、自分の心の中にある思いとは別の色眼鏡でありレッテルの言葉として聞いています。そして、母親はその投げかけられた言葉は私の自己肯定感を引き下げるだけの言葉であったと表現しています。だから自分は「お父さんもお母さんも誰よりも、あなたの味方だよ」「学校へ行きたくないと言ってくれてありがとう」と伝えたとありますが、その気持ちはちゃんと子どもに伝わるのです。学校は「自由登校」にしたとありますが素敵な言葉だなと思いました。1年生でもその気持ちはちゃんと伝わるのです。それは、また。行くか行かないか自分で決めていいよ。自分で決めるんだというメッセージでもあります。不登校の子どもにとって一番心が安すまり安心できるのは、そういう親の気持ちを感じられた時です。そして前を向けるのです。それはすべての不登校の子も同じです。
2024年1 月 竹内春雄
この情報は、「不登校を考える親の会 川崎の会」により登録されました。