【コラム】広木先生から学ぶパート2 ___2023年9月
広木先生から学ぶパート2
2023年9月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
----- 以下は参考。テキスト化したものです。-------
広木先生から学ぶパート2
前回の続きです。
不登校の親と子どもが感じる学校への違和感とは
<能力主義が触む子どもたちの人間関係>
学ぶことなしに、自分の経験だけを基にして不登校のことを考えても、大切なことはなかなか分からないと思います。なぜなら、子育て中の親は誰でも「子どものため」と思って子どもに対応してきたはずだからです。しかし、「子どものため」と思っているのは親が思っているだけで、子どもは納得し、了解している訳ではありません。その「子どものため」は、子どもへの押しつけになっているかもしれません。そして、その押しつけが子どもを苦しめる危険な問題をはらみやすい時代であることを皆さんに是非知って頂きたいし、皆さんと考えていきたいと思っていますと・・・・そして今日の教育の在り方は、子どもたちのその心を置き去りにしているように見えますがそれは何故なのか。しかも、それに気づきもしないのは何故かを見ていきたいと思いますと・・・・続きます。
そして教育基本法の第1条教育の目的にある教育は”人格の完成を目指す”という言葉を取り上げています。
その人格の完成の中で一番中核になるのが一人ひとりの”人間の意欲です”と。 「僕はこれが好きだ」「私はこれが好きでない」「僕はこれがしてみたい」などと表現される自己というものをしっかり、立ち上げていくこと。これが人格を形成する教育の中心になければならないと《話しています》。しかし、現在、子どもたちの多くは 「僕はこれが好きだ」とか「嫌いだ」と言いたくても、言うことができず自分の興味や関心より親や教師の意図を付度してしまう傾向が強くなっていますと《まったく 私も同感です》。そして、前もって準備された知識をできるだけたくさん覚えてそれを素早く再成できるかをテストで測り、その結果を成績といって、頭がよいか、悪いかを競わせることを教育と呼んでいます。その結果を見て、子どものことが分かったという気になる教育観です。高い点数をとれるとまるで人格まで成長しているかのような、そういう錯覚の上に成り立っている教育といっても過言ではありませんと。《続けていますが、私もそうだと思っています。子どもを点数で評価するのは違うと思っています。 ある先生はテストをしても、できたことにだけ〇をつけて誤がったところは×をつけないでもう一度考えてねと返すそうです。そして、自分で考え直して答えを見つけたら、はじめて〇をつけて、すべての子が100点になるようにしているという実践をしている先生の話を聞きました。失敗から、誤いからこそたくさんのことが学べるのです。そのことを実践している先生がいることに、心が暖かくなったことを覚えています。》
点数を見るとそれだけで子どものことが分かった気になる教育観、高い点を取れるとまるで人格までが成長しているかのようなそういう錯覚の上に成り立っている教育を能力主義の教育といいます。そして子どもたちの中から「学校はもう嫌いだ」と感じる子が出始めたのです。教育の目的である人格形成は、他者と比較することではありません。子どもたちを一つの物差しで点数化し、それを比べることで子どもたちの中に競争を生み出します。それによって優越感と劣等感が強まり、子どもたちの人間関係はずたずたに引き裂かれて行きます。それが今日の日本の教育の姿です。《私も前々から感じていたことです。その中で子どもたちも親も苦しんでいるのです。この体制が変わらない限り、不登校は増えていくと思っています》
<学校は失敗を経験するためにある>《私も同感です》
私たちは、子どもを見る時にいつの間にか能力主義的な見方に囚われていることを自覚する必要があるのです。それは我々自身がその制度の中で教育を受けて育ってきたことと関係しています。つまり「わが子」に向き合うべき時にも「子どもの点数や成績の方が気になる存在になっているのです。《何んだかんだ言っても親は点数や成績が気になってしまいます。それだけ、子どものことを心配しているのですと、でも、子どもはどうでしようかと、もう一度振り返ってみてもいいのではないかと思います。簡単ではないと思うのですが》
本来の教育では「できない」ということの中に大切な意味があると考えます。分からないこと、出来ないことにバツをつけるだけならば、それは、検査であって教育ではありません。バツをつけない教育ならばこそ、「どうして?」がスタートします。教育では、できなことはダメではなく、そこから自分がより賢くなっていくスタートラインに立つことを意味します。「ここできていないね。どうしてだろうね。あっそうか。君はそう考えたのか。それも面白いけど、こんな考えもあるよ。」などなど《これは大人になって、新しいことを見つける研究にも言えることです。99%の失敗の上に新しい発見があるのだと思うのです。》
だから「できない子」がいるのではなく「できない子のままにしている」と見るべきなのですが「できない子」と評価して終わりの現状です・・・それゆえに点数さえ取れば良いという学校では、本当に大事なものが見えなくなる。これが能力主義の怖さです。そして、実に多くの子どもが自分はできない。自分には価値がないという劣等感にさいなまれています。その劣等感に苦しみながら、学校に行く足がどんどん重くなる事例が急増しています。そういう子どもたちにできないことを大切にすることから、本当の学びが始まることを伝えたいのですと。《広木先生のお話は、いつ聞いても、読んでも、なるほどと考えさせられます。学び、とは学校で完結するものではなく、一生続くのです。だからこそ失敗を繰り返し、その中にこそ、新しい発見があるのです。失敗を恐れずに!!》
パート2 2023年7月 竹内春雄
この情報は、「不登校を考える親の会 川崎の会」により登録されました。