10年目のフクシマ その4 農業の復活 南相馬原町
詳細
写真は南相馬市原町の菜の花畑。上空には小鳥がさえずりっている。
ここ南相馬市原町区は福島第一原発から20㌔から30㌔圏内にある。2011年9月30日には緊急時避難準備区域が解除された。南相馬市全体では耕作面積8400㌶の内、被害推定面積は2,722㌶、被害面積率は32.4%。
南相馬市復興企画部発行の「東日本大震災福島県南相馬市の状況(平成30年2月9日現在)によると、事故年には市内全域で米付制限、12、13年は作付けを見合わせながら、実証栽培を行い、吸収抑制対策の効果等の検証。14年からは全量全袋検査で100ペクレム/㌔以下の米を出荷。米以外は、作付け制限はなかった。
南の10㌔圏内の市内小高地区は12年-13年まで「警戒区域」、13年~16年7月12日まで避難指示解除準備区域で当てはまらない。
右下は麦を植えているそうだ。ところどころに菜の花が咲いているところをみると、先に菜の花を植えていたかもしれない。左下の畑には何を植えるのだろうか?
農業の復興はこれからだ。
参考資料
「南相馬 菜の花プロジェクトー自然循環の社会形成に向けて」
https://jn.lush.com/article/soapbox-201602
(ただし、写真の菜の花と関係しているかどうかは不明です)
先が見えない状況の中、何とか農地を再生し、農業を復興したいという思いで始めたのが、「菜の花プロジェクト」です。除染効果を持つ菜の花を農地で栽培し、収穫した菜種から油を搾る。搾った菜種油には土壌の放射性物質が移行しないので、商品化して売ることができる。さらに、搾りかすからバイオガスをつくり、エネルギーとして再利用することも可能です。
Face book 読者より
菜種栽培はもちろんウクライナでの実験結果があってのことですが、菜種栽培はもう一つの意味があります。それはこの地が二宮尊徳の報徳仕法によって救われたという歴史があり、少年時代の金次郎はひとつかみの菜種を荒地に蒔いて100倍に増やすことに成功し、後に「積小為大」という報徳仕法を表す言葉の1つとなりました。
この情報は、「フクシマを忘れない会」により登録されました。