『ふーこの独り善がり日誌 』6
田に出でてすくい取りたる山桜
PDの発症が高齢の場合、若年で発症する場合と比べると進行が早いといわれている。
また、PDは今のところ有効な治療法がないため難病に指定されている。
将来は治療法が確立して完治出来る病気となれば、希望を持ちながら病気の進行に怖じ気づくこと無く、PDの症状に冷静に向き合うことができるのではないかと思う。
私は、PDと診断されて十年近く経つ。PDが進行して生活に支障が出るようになったらどうすればいいのか、常々不安に感じていた。
その不安は突然起きた。『歩けなくなってしまった』。最初、椅子から腰を上げた際、左腰から大腿裏まで針に刺されたような激痛が走った。歩くと尚更痛みはひどくなっていった。左側の大腿部の筋肉は硬く痛みが強い。このような状況のためトイレに這っていくという有様。クリニック以外外出が出来なくなった。
歩けなくなった原因を思い返してみると、それ以前、足の爪が巻き爪になり完治まで一ヶ月かかった。足をかばい、椅子に長い間座り続け趣味の手芸で気持ちを紛らわせていた。
二度と歩けなくなるのでは?という恐怖心は不安、絶望感、生きるエネルギーさえ奪っていくようで、時間が経過するほど気持ちが沈んでいった。
様々な思いを抱えながら1ヶ月半経った頃、ようやく以前と同じ歩き方が出来るようになった。クリニックの帰りに百円ショップに立ち寄るのが一番の楽しみだった。早速、行ってみた。嬉しくて長居をしてしまう。
今思えば、歩けない期間は進行期だったのだったのだろうか?主治医から鎮痛剤を処方してもらい、自分の体で起きたことを細かく記録するようにした。記録によって説明が出来なければ、専門医に行っても満足のいく治療は期待できないと判断して様子を見ることにした。
回復のきっかけは人と関わり、何気ない言葉のやりとりの中から前を向く気持ちになったことだ。
以前と立場が逆転し、歩けなくなった私に代わり、夫が家事を手伝ってくれた。同じ病気であるということが互いに思いやる気持ちにつながって病気の理解を深めた。PDは一日の中でも体の変動が多い病気だと思う。他者からなかなか理解され難い病気になる。おかしな言い方だが、夫婦が同じ病気で良かったと思う。
縁あって猫好きの親子が訪れるようになった。母親と幼稚園児の娘さん。我が家の飼い猫にお土産を持って来て遊ばせてくれる。穏やかな空気が流れる。
十年後、親子は猫と遊んでいるかな?私は長生きがしたいと思うようになった。
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