その5:女川町:「還暦以上は口を出さず」で、復興のトップランナーに
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宮城県女川(おながわ)町は復興のトップランナーといわれている。その秘密は「還暦以上は口を出さず」にある。
女川町では震災から8日目、水道も電気も通らない中で民間の有志がプレハブに集まり、まちづくりの準備会を開いた。その約1カ月後には、商工会、水産業関係者らを中心に、女川町復興連絡協議会を立ち上げた。
女川町復興連絡協議会を立ち上げたときの会長が還暦で、『復興に約10年、まちづくりの成果が分かるのに、さらに10年かかる。だから、20年後に責任がとれる30代、40代にまちづくりをまかせて、還暦以上は全員顧問になって、若い人たちをサポートしたい』と託されました。若者中心のまちづくりと言われていますが、正確に言うと上の世代の人たちが若者を信頼してチャンスを与えてくれました」という。
震災の年9月には「女川町復興計画」が町議会で可決され、「これからも海とともに生きることを選んだ」。「陸と海を遮るものを作らず、町全体をかさ上げる」という方針のもと、津波防波堤は崩壊しない最低限の耐力を保持する構造を採用し、商業エリアは標高4.4m、住宅エリアは標高17~18mとした。明治三陸津波と東日本大震災を想定している。
翌年1月には協議会は「住み残る、住み戻る、住みに来る」町を目指す復興提言書をまめ、町長と町議会に提出。「こうした住民が主体となった活動が町の復興の大きな力となった」。
「未来に生きる人々が私たちと同じ悲しみや苦しみを味合うことが無いように願い」震災遺構として保続している。
新しく建設された女川駅は木造だ。「女川温泉ゆぽっぽ」と情報センターなどがあり、町のランドマーク的存在だ。この裏に無人のJR石巻線出発駅のプラットフォームがある。
女川町では、2011年5月4日の「おながわ復幸(ふっこう)市」から、「町民一人ひとりが幸せを取り戻した時が復興だという思いを込め」「復幸(ふっこう)」の文字が使われるようになった。
参考:佐藤由紀子「東日本大震災から5年半。女川町の“本格復興期”を支える「若者力」」
https://suumo.jp/journal/2016/09/23/118299/ 女川町の掲示板
東日本大震災遺構 旧女川交番
鉄筋コンクリート2階建。「鉄筋コンクリートの建物が津波で転倒したのは日本で初めての事例であり、大規模な津波で倒壊・転倒したという事例は世界的に見ても少ないものです」。現地の説明文より
女川駅舎
R女川駅は新しいシンボル。1階は改札やお土産屋など、2階には震災前に駅の隣にあった「女川温泉ゆぽっぽ」が再開、3階は展望フロアがある
女川丼 1300円
「作るのに20分位かかりますが、いいですか? 」 裏通りの店にて。
この情報は、「フクシマを忘れない会」により登録されました。