2019年度現地見学②(中野島~向ヶ丘遊園)
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2019年11月16日(土)、今年度第2回目の現地見学が行われました。第1回目の天候状況と違い、11月でありながら爽やかな晴れの状況で始まりました。
午前9時過ぎに、最初に代表の江原から「今回は概ね歩きやすいコースですが、十分注意しながら行きます」との話があり、本日の説明担当の中村がコース概要の説明があり、出発しました。
まず、座学での話がありました紙漉関係の田村家関係のお墓がある「是法庵」に行き、和製唐紙祖の田村文平墓で関係するその他のお墓を見ました。
その後、多摩川を目指し集合した中野島駅を過ぎ、以前は㈱キトーで、現在は高層マンションある付近に多摩川の筏流しの筏師の帰りに利用したといわれてる筏道の説明がありました。
漸くして多摩川の堤防に出て、上流に見える上河原堰(中野島堰)近くまで行き、蛇籠堰から現在の上河原堰に至る説明がありました。
またその手前の新三沢川についての説明があり、いよいよ二ヶ領用水の上河原取入口に向かい、現在は取水口近くにある工業用水のために利用されている状況の説明がありました。今回の現地見学の目玉である、二ヶ領用水と大丸用水関連として、新三沢川に大丸用水が流れている場所の確認もありました。新三沢川が出来るまでは、菅地区から中野島地区まで利用していました。
二ヶ領用水を橋本橋さらに台和橋までは、川とのふれあいを目的とした親水事業で、用水路自体に様々な工事施工が行われています。
大丸用水の痕跡としては、何箇所かありましたが、二ヶ領用水の上を掛樋で通して、中野島地区の多くの水田は利用していたことが理解できました。
さらに途中旧三沢川の痕跡として、三沢橋の欄干が見え、現在との比較がよく分かったと思います。
橋本橋まで来ると、丁度南北を道路が通り賑やかな場所でもあり、古い石の道標もあり昭和初期の様子が見られます。
さらに下り、一本圦樋堰と紺屋前堰に行き、二ヶ領用水からの分水の場所を確認しました。まわりの様子が随分変遷して田圃は少なく二ヶ領用水の利用は殆どなくなってしまいました。特に紺屋前堰は用水を利用した紺屋が近くにあったといわれてます。
近年に台和橋が新しく架橋されて、欄干には二ヶ領用水開削の始祖小泉次大夫のレリーフがはめ込まれてます。橋の南には多摩丘陵の麓から流れくる山下川が合流しています。
さらに下ると、豊富な地下水を利用しての紙漉の工場(現在における再生紙?)が多くありました。
新川橋まで来ると、二ヶ領用水はコンクリート擁壁になってしまい、橋の近くの中央付近には東京都へ飲料水を送るための水道管が見ることができます。
旧津久井道の面影もなくなった場所(小泉橋)を訪れ、現在マンションとなった紀伊国屋や昔は石造りであった小泉橋を想い、すぐ近くの榎戸堰(現在はない)付近を訪れました。豊富な水量を三方に分け、堰は蛇籠で造られ、笹を堰に継ぎ足し利用していたと言われています。
最後に、稲生跨線橋前で、参加者からお話を聞き、第2回目の現地見学を終わりました。インタビューのご協力、ありがとうございました。
追加として、稲生跨線橋を越えた場所については、平成初期まで機械漉での製紙工場があったことを確認し、さらに五反田川との合流地点等を確認し、現在五反田川の放水路が建設中である事の説明もありました。
今回は天候も良く、時間も概ねスムーズに進行したと思いました。説明担当を始め皆さんご苦労様でした。
※YouTubeでは、こちらに掲載した以外のたくさんの写真をご覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=x_0yZftXgBw
※1月18日(土)の現地見学の募集は引き続き受け付けています。お気軽にお問い合わせください。
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