【コラム】2025年2月 息子の不登校から学んだこと
公開日:2025年02月07日 最終更新日:2025年02月10日
2025年2月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
----- 以下テキスト版-------
息子の不登校から学んだこと
「東葛の会」という親の会(流山市にある)から2月号の便りが届きました。その中に素敵な投稿を見つけたので紹介します。
長男は小学6年生の2月、あと十何日学校へ行ったら卒業という時にパタリと学校へ行かなくなりました。当初は家族と出かけたり、一緒に食事をしたのですがだんだん部屋から出て来なくなり、昼夜逆転、ジャンクフードしか食べず、お風呂にも入らず一日中ネットやゲームをして過すようになりました。たまに部屋から出て来ると裸のまま毛布にくるまって家の中を歩き、部昼はカーテンを閉め切って暗闇の中でした。気に障ることを言われたり、上手く行かないことがあると物を投げたり、工具で壁を壊わそうとしたこともありました。私はどう対応したらよいかわからず、状況は悪くなる一方でした。そんなとき、学童の先生から「親の会」を教えてもらい例会に参加した時「待ちましょう。見守りましょう」と言われた時は、正直絶望を感じました。
夫は仕事が忙しく、私の話を聞いてくれないし、今まで仲良していたママ友とは疎遠になり、孤独を感じ孤立して消耗していきました。
何か解決の手掛かりはないかと「親の会」の例会や講演会や勉強会に参加するうちに「子どもを何とかしようとする」のではなく、「子どもが家で安心・安全を感じて過すことが大切なのだ」ということに気づきました。例会に参加を続け、「大変なのは自分だけでない」と励まされ、何回か会う人がいると「あの人どうしているのかな。次回も来るのかな」と例会が支えになっている自分がいました。子どもは学校へ行っていないので、自分が楽しむことに罪悪感がありますが、「自分が楽しんで良いエネルギーが息子に伝われば良いかな」と、自分の興味のあること、昔好きだったこと楽しそうだなと思うことをやりました。普段行かない所に行ったり、買い物のついでにお茶をしたりしたことは、焦らずに良かったです。中3の9月頃「高校どうするの?」と聞くと、長男は「高校なんて行かない、やりたいことなんかない」と言っていましたが、中3の11月の終わりに通信制高校の説明会に行き、12月に受験して年内に合格通知がきました。
週5日通うコースでしたが、ほとんど通わず、レーポト提出と、スクーリングで進級しました。 高1の6月「アルバイトしたい」と言い出し、駅ビルの魚屋で週4日、一日4時間のバイトを始め、掃除や総菜を詰める作業で人とあまり接しないし、魚が好きで家でも魚をさばくようになりました。そして、夫も長男のバイト先にこっそり行って「大人に混じって頑張っていたぞ」とお互いが認め合うようにもなりました。
そして、小さいころ遊びに行った義理の父の実家の「長野に住みたい」と言い出し、 高3の夏に免許をとり、今年の3月に卒業後長野で1人暮らしをしています。
という報告です。
表の報告からいいなと思ったことのひとつ目は、この母親が藁をもつかむ思いで親の会に参加した時に「待ちましょう見守りましょう」と言われ正直絶望したと思ったのに、その後親の会に参加し続けたということです。そして「子どもを何とかしようとするのではなく子どもが安心安全を感じさせることが大事なのだと気づき、あるがままの子どもを受け入れるということからはじめようと子どもに寄り添った見方に変っていくことです。」子どもを何とか学校へ行かせようとするのではなく、ありのままの子どもを受けとめることの大切さを感じています。その気持ちは子どもにちゃんと伝わっています。お母さんは自分の味方になってくれたと分かるのです。
二つ目、母親の提案した通信制高校の説明会に行って入学したのです。でも通信高校の5日通うコースを選びながら学校へは行かず、レポートで済まし、アルバイトをしたいと言うのです。その時母親はちゃんと勉強しなさいと言うのではなく、自分の味方になってくれていると安心感を感じているからこそ言えた提案だと思うのです。そして、息子はそのアルバイトの中で生きるということを、勉強だけではなく、実際に仕事をしながら学んでいます。父親もその姿を見て、息子にまかせてよいと味方になっています。
三つ目は息子はなぜ魚屋を選んだのでしょうか。 それは、通信制高校で勉強する以上に実際に仕事をしてみたい。それに魚のことに興味があったのでは、勉強では得られない実際の体験としての仕事をやってみたいと思ったのだと思うのです。そして、そのことが長野でひとり暮しをしたいということにつながっているのではと思いました。先日の広木先生の相談会の中で相談された親の方に「お子さんの好きな ことは何ですか」と質問される言葉を何回も聞きました。そのことが私の心の中に残っています。唐突ですが童謡の”雨ふり”という歌を知っていますか。「雨々降れ降れ母さんが蛇の目でおむかえ喜しいな。ピチピチチャプチャプランランラン」そこには「雨が降るから傘を持っていきなさい。」と言ったのにと怒るのではなく、雨にぬれたら大変だと持ってきてくれたお母さんの気持ちがうれしくて雨なんてへっちゃらと踊り出す娘の姿が目に浮びます。ここにはお母さんの無償の愛と、それを信じきっている子どもの安心感が伝ってきます。だからピチピチチャプチャプランランランなのです。だから子どもは親を越えていけるのです。この報告の母親もそうだと思うのです。子どもに、こうなってほしいという親の思いは親の思いであって、子どももそう思っているかは分からないのです。自分のやりたいことを決めるのは子ども自身であって親ではないのです。子どもはいつも親の姿を見ています。
ある1才の子が道端にしゃがんで石ころを探していました。その時お母さんはバッチイからと石ころを取り上げるのではなく「ひとつだけ宝物だよね」と。1才の子は選んだ石ころを持って玄関に、そこには宝物がたくさん。子どもは親に守ってもらえていると思えたら、その日から冒険の旅にでれるのです。自分の好きなことに向かって!!
2025年2月 竹内春雄