【コラム】2024年11月 ある女の子の不登校のお話
公開日:2024年11月08日 最終更新日:2024年11月08日
2024年11月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
----- 以下テキスト版-------
ある女の子の不登校のお話(東葛の会ひだまりニュースから)
勉強、複数の習い事、バレエの主役争い等。加えて繊細で傷つきやすい私。一方正義感が強く、誰もやらない雑務を引き受けたり、いじめられっ子をかばったりしていた(女の子)でしたと。
小4の秋から、ストレスで毎深夜に1時間ほど、トイレで嘔吐して睡眠がほとんどとれない生活になった。(そんな中)ある日、いじめを受けていた女の子をかばったのをきっかけにいじめっ子達からすれちがいざま「死ね」と言われるようになったと。
そして、小6の3学期には「死ね」が幻聴で聴こえるようになり、食事も喉を通らなくなっ たと。(そして)中学へ入学。そのいじめっ子達と同じクラスになっていた。入学から1週間後、布団から出れなくなった。「もう何もしたくない」「何も考えたくない」という心境になり、1ヶ月後には完全に行かなくなった。母の提案で私立中学校に転校した。でも、学校を変えても辛い気持ちは変わらなかった。 (でも父は認めず)父から学校へ行かない罰として、何時間も正座させられた。その後、学校へ行くふりをして、外に出て、父が出た頃に家に戻ることを繰り返し、それも見つかって、そのたびに殴られた。 (そんな時)母は別の部屋へ行ってしまう。 (そんな毎日で)もうこの家は嫌だ!!繁華街へ行って泊めてくれる人を探そうと(東横へ行く子どももこんな事情があるのかな) (そして)荷物と小遣い全部持って夜中に飛び出したが、母に気づかれ、私を止めて泣き出した。「お母さん。どうして私を守ってくれないの?頭の中はいっぱいだよ。 死ね死ぬって、ずっと聞こえるんだよ」と私も泣いた。そんなことがあって母は学校は諦め茨木で一人暮らしをしている祖母に預けられることに。祖母は親族で一番最初の私の理解者だった。 (そして)夜は何年ぶりか?というくらいぐっすりと眠れた。一緒に草とり、 散歩、テレビ、昼寝など、ゆったりとした生活。幻聴は聞こえなくなっていた。8月には祖母の梨園で手伝いをしたり、幼ないいとこの子守りをして過ごし、(書いてはいないのですが 父も娘のことを少し理解したのかな?)10月に自宅に戻ったと。 ・・・・
その後、両親とも、"ひだまり"という親の会に出会い、いろいろな親との交流の中で、あれほど厳しかった父親も別人のように変わり、私も少しずつ父親とも会話できるようになって いったと書いています。
そして、中学の不登校友だちとオンライをしたり、一緒に遊びに行ったりするようになり、夜は深夜ラジオを聴いたり、ビーズ、アクセサリーをもくもくと製作したりした。物心ついた頃から、 勉強、習い事漬けの人生だったけど、不登校は自由な時間があり、やりたいことに没頭できる時間になったと思えるようになったと。(はじめは夜も寝れない辛い時間だったのですが) そして、高校は私立の通信高校へ進学して、アルバイトもできるようになり、高2のときバイト先で見た学生を見て、自分も大学へと思うようになり、通信校の先生に相談して進学コースに編入して、小学校の勉強からやり直して、志望校ではなかったけど、大学に進学したと話しています。 (その気になれば、誰でもできるのです。子どもはその力をちゃんと持っているのだと感じました。何があっても、親は自分の味方だと子どもが感じたとき、子どもは前を向いて頑張ることが出来るのです。どんな子どもだって。感じさせるのではなくそう感じるまで待つことです。)
この女の子は親に心配をかけたくないと小学校は休まないで学校に行ったのですが、中学校でいじめっ子と同じクラスだと分かり、心は折れ不登校に。そして私立中学校へ転校して、「学校に行ける」と父親は思ったのですが、娘さんのトラウマはそんなに簡単ではなかったのです。そして、父親は学校へ行かない(行けない)娘をどうしても行かせなくてはと、正座をさせたり暴力を振ってと、力づくで学校へ行かせようとするのですが力づくで人の気持ちを変えることはできないのです。母親はそれを止めることはできなかったのですが、心は娘に寄り添っていました。だから、家出しようとする娘さんを止めることができたのです。母親は娘を見捨てないと娘と泣きながら説得することがでたのです。そして父親と一緒 の家ではなく祖母の家に預けることに。娘も納得したようです。茨木で実家とは離れた祖母の家は娘さんにとって、はじめて安心できる所になったと話しています。そこでは、勉強してとか学校へというプレッシャーもなく、一緒に草とりをしたり、散歩したり、テレビを見たり、昼寝をしたりと、ゆったりとした自由な時間を過す中で、自分を取り戻し幻聴が聴えなくなったと言っています。ありのままの自分を 受けとめてもらえたら、どの子も前を向けるのだと思っています。
そして、娘は10月に自宅へ戻るのですが、そこには正座をさせたり、力づくで学校へ行かせようとした父親はいなかったのです。実は娘が祖母の所に行った後母親と父親は「ひだまり」という親の会を訪ねていたのです。そして話し合い相談を通して、父親は別人のように娘のことを理解しなくてはと変わったのですと書いてありました。10月に実家に帰ってから、私は父と少しずつ会話するようになった。 家庭が居心地の良い空間になったと娘さんが話しています。両親が自分の味方になって、安心できるようになった娘さんは、不登校友達とオンライをしたり、一緒に遊んだり、昼に自分から図書館 へ行ったりできるようになり、不登校は自由な時間があり、やりたいことに没頭できた幸せな時 間だったと語っています。前向きなった娘さんは通信高校とバイトをして、その中で大学へ進学したいと思うようになり、通信校の先生に話して、取り組んで、大学進学をしたと話しています。
学校へ行かなくてもいいと思っている子は一人もいないと思うのです。どうして行けないか分からないけど行けないのです。その子を前に「学校へ行くことを強要しても」子どもはどうすれば、どう応えればよいか分からないで、自分はダメなんだと閉じこもってしまうのです。上から力づくで働きかけても、子どもの心には届かないのは明らかです。そのことに気づき、子どもに寄り添い信じることの大切さをこの事例から学んだと思っています。不登校の子どもたちとっては、先ず、親が信じて味方になってくれる、信じてくれていると思えたら、どの子も自分からしたいことを見つけ、前を向いて生きていけるのです。そこには例外はありません。一人であれやこれやと悩んでいるのではなく、是非不登校の親の会を訪ねてみてください。同じ悩みを持つ親同志気楽に話せる場所です。
2024年10月下旬 竹内春雄