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【コラム】2024年9月 子どもにとって学校は楽しい所になっているのだろうか?

公開日:2024年09月06日 最終更新日:2024年09月07日

2024年9月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。

竹内先生のコラム 2024年9月 (1.4MB)

 

-----  以下テキスト版-------

子どもにとって学校は楽しい所になっているのだろうか?

(事例2)算数がある日に休みたがる女の子) 小学校1年生の女の子「2回算数がある日は学校に行きたくない」と話し、親もそれを受け入れて、女の子の言う通り学校を休ませている。当初は「算数が2回ある特定の曜日」だけ休んでいたが徐々にそれ以外の曜日も休むようになる。

(事例3)不遜な言動が目立つ男子生徒) 中学校1年生の男子。教室では大人しい性格だったが不登校になり相談室で過すようになると、机の上に足をのせて「本当の俺はこんな感じだ」などと話す。また他の生徒が相談室を利用すると「コイツがいるなら嫌だ」と帰ったり、対応する支援員に悪態をつくなど不遜な言動が目立つ・・・

 「らない』が子どもを苦しめる」藪下遊著(スクールカウンセラー)の本から(事例は30件以上)

 そして最後の結びに「私の本書で紹介している子どもたちの不適応を招く特徴は学校生活という狭い範囲で納るようなものではなく社会全般にも影響を与えかねないものであると考えています。そして、この子どもたちの不適応をできるだけ早期に改善していくことが重要だと確信しています。」と結んでいます。(不登校は不適応ととらえてよいのでしょうか?)

 また、ある校長先生が学校だよりに入学式の時に話したことを書いています。「よい姿勢でお勉強しましょう。」「1時間の授業の始めには、あいさつをします。きちんといいしせいであいさつできるでしょうか。そして、先生のはなしをきくときには先生のほうに体をむけ、目をみてはなしをきくようにしましょう」と書いています。続けて、「子どもたちにとって『姿勢を整える』ことが『学びの中身が充実する』ことと一体となっていると私は考えています。このことを教職員一体となって子どもたちに伝えていきたいと思っています。・・・・」と書いています。これは、ある小学校だけでなくどこの小学校でも大なり小なり行なわれていることではないでしょうか。事例21年の女の子の学級でも行なわれているのではと思うのです。”友だち100人できるかな。"どんなに楽しい所かなと期待に胸をふくらませながら始まった1年生にとって、やらなくてはいけない約束ごとがたくさん。守らないと注意されることになる学級、その上、算数が2回もあったら楽しいはずの学級がアレッ楽しくないやと感じても不思議ではないと思うのです。 事例のように行きたくないと女の子が思ったとしても、私にはごく自然のなりゆきだと思えるのです。それを不適応ととらえるのは違うと思うのです。

 今学校に入ると子どもたちが守らなければいけない、細かな約束ごとがいっぱいあります。 椅子の座り方、手の挙げ方、ふでばこの中身、姿勢もピチットなどなど教室の中は約束ごとの宝庫でそれを守らないと注意されるのです。そんな毎日だったら子どもたちは学校は楽しい所と思うのでしょうか。今、学校が問われているのは、しつけや約束ではなく、日々の授業を充実させることだと思うのです。「へーそうなんだ」「はじめて知った」など子どもたちの驚きや発見のある授業を工夫することです。そうすれば「姿勢をちゃんとして」「先生の方を見て」などと言わなくても子どもたちは目を輝かせることでしょう。そこにはもう不適応は存在しないのです。友だちの話、先生の話に集中する子どもたちがいるのです。それは中学校も同じだと思うのです。 学ぶということはどういうことか、もう一度考えてみる必要があると思っています。テストの点数にこだわるのではなく!!そのことを教えてくれる新聞記事を紹介します。

 発達心理学者の内田伸子さんが“仲間との楽しい体験、自己肯定感育む”という題の記事です。「内田さんが重要性を強調するのは『自発性』だ。子どもに命令や指示をする『強制型』か、子どもに合わせて考える余地を与える『共有型』かで、育ち方への影響の違いを調べた。『共有型』の場合、子どもは考えて行動し遊びに熱中する。逆に『強制型』 では子どもは指示を待ち、顔色をうかがいながら遊ぶようになる」・・・ 「子どもにとって遊びとは自発的な活動であり、大脳が生き生きと働いている状態遊びを通して、アクティブ ラーニングをしている。」・・・「自発的な遊びを通して他者とつきあう社会性や自制心、目標を達成する実行力、挑戦力などの『非認知能力』が育まれる。何より目標を達成した喜びや達成感は大きく楽しく習う『楽学体験』による自己肯定感や探究心が高まる」 と書いています。筆箱の内味まで指定するのではなくもっと子どもにまかせてもいいと思うのです。 問題があれば子どもたち同志で話し合い、考えるそのゆとりこそが子どもを育てていくのだと思います。点数と約束ごとで、子どもたちをがんじがらめにして子どもたちは育っていくのでしょうか。何か問題があったら、子どもたち同志、知恵を出し合い話し合うこと学び合うことです。 問題が起きないように、はじめから細かな約束ごとが必要なのでしょうか。もう一度楽しい学校とは学ぶということはと考える必要があるのではと思っています。

 次に時々朝日に#with youというシリーズ8/22付の記事から「中学校へ入学して、卓球部の練習と勉強と学級委員長とで心がきつくなり1月にはほぼ学校へ行けなくなった」という女の子。その女の子が「今年4月から現役で認定講師になり、自分と同じように「分かってくれる人の存在が感じられなくなって、苦しむ同世代の人に自分の思いを伝えたいと活動しているという記事です。そして、この女性(朝陽あさひ)さん)が変ったのは母親が部屋に入ってきて以前とは違って意見ははさまずに話を聞いてくれるようになってきて、自分の気持ちや悩みを少しずつ言葉にできるようになり、母の『つらかったんだね』の一言で、「ずっと分かってほしかったその言葉がうれしくて涙が止りませんでした」と。そして、再登校をして、今は友達もできましたと書いています。(現在高2 の迫朝陽さんは講師になって、同じ不登校で悩んでいる人にメッセージを送っています。)

 不登校の子で、家で遊んで、なまけている子など(たとえ、ゲームをしていたとしても)一人もいないと思っています。どうしたらと分からず苦しんでいる子どもたちです。不適応な行動なんかではないのです。「あしたら」「こうしたら」というアドバイスではなく、ひと言「らかったね」と共感してもらえたら、子どもは安心して、どの子も前を向けるのです。それは子どもが決めることです。

20248月末日 竹内春雄

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