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【コラム】2024年7月 父親の思い(母親の)!!!

公開日:2024年07月09日 最終更新日:2024年07月11日

2024年7月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。

竹内先生のコラム 2024年7月 (1.5MB)

-----  以下は参考。テキスト化したものです。-------

父親の思い(母親の)!!! 

 前に紹介した「風に立つ」という小説の中で子どもに対する考え方を頑(かたくな)までに変えようとしない姿が書かれているのですが、いろいろな出来事の中で息子を理解する様子が書れています。 
 「僕はづっと、お父さんやお母さんの期待に応えるために頑張ってきた。友達と遊びたくても我慢した。それなのにただの一度の過ちさえ、お父さんは許してくれなかった」・・・ 
 「僕がお父さんにづっと言われてきたのは、勉強しろ、いい点を取れ、そしていい大学に入れの三つだけだよ」と。それに対して父親は「私は春斗からどう思われようと、かまいません。自分が間違っているとは思わないからです。」「子どものためにできる限りのことをするのが親の役割ではないのですか」・・・「親の役割ですがもうひとつ現実の厳しさを教えることです。夢を持つことはいい。だが夢では暮していけません。春斗から憎まれても、私は春斗に幸せな人生を送ってもらいたいんです。」(父親の思いと春斗の 思いはかみ合わないのですがでも)「考雄さんの話を聞いて、改めて春斗を見つめ直したとき、このままでは本人にとって酷な人生になるのではないのか。そう思ったのです。本人の思うように一度やらせたら諦めもつくし.....」と春斗の気持ちに寄り添った父親に変っていくという考えになり、春斗は自分の好きな動物(馬)に関係する仕事に就くための大学を撰択していくのです。春斗の父親はづっと自分の思いを実現するためにと要求し続けてきたのですが春斗の好きな道でもいいのではと変っていくのですが、それは小説の中のお話なのです。実現は子どものためとたくさん勉強して、よい大学へと、それが子どものためという思いを捨てきれない父親がいます。子どもには子どもなりの自分のやりたい好きな道があるということに気づかないで自分の思いの方がよい。そこに向かって頑んばれと要求する父親です。 
 もうひとつ、びーんずネットの豆マメ通信Vo132号の中にお父さんのことを書いた記事が目に止まりました。抜粋して紹介します。 
 「子どもに幸せな人生を歩んでほしい」俺だって心からそう願っているんだ。だからこそ、今ここで甘やかしてしまってはいけない・・・ 今ここでぬくぬくと休んでいて、その後の人生はどうなるの?フリースクール?言っちゃ悪いけど、あえて本音で言う。レースから外れた人生は言うほど楽じゃない。そして、今ここのでぬくぬくと休んでいて、人に揉まれ やっていける充分な社会性が身につくのかな?だからこそ、先きを見通せる親がしっかり と道筋をつけてあげなくちゃいけない」と。それは、父親の責任だ、甘やかしていても人として本当の強さが身につくはずがない。だから汚れ役になっても強いことも言わなくては。たとえ子どもが口を聞いてくれなくても、一目散に自室に閉じこもってもと思っている父親。でも、結果として強く言うだけだから、物事は全部逆効果になる。残念ながらやっぱり一度、父親としての関わり方を根本から見直す必要があると思う。なぜなら、少なくとも、今のままで事態が好転する見込みは全くないのだから。父親として、不登校への関わり方はどうすればよいのだろう?・・・と書いています。 
 私も同感です。父親が子どもの将来を考えて、学校へ行かなかったら苦労が目にみえるからこそ苦言になるのだという父親の気持ちも分かるのですが、それは親の気持ちであって、学校へ行けない子どもには、そんなこと言われても、それは、自分を責める言葉にしか聞こえないのです。どうしてこの辛い気持ちを分かってくれないのと行き違うことになるのです。子どもは学校へ行こう行かなければと思うのですが、行けない自分がいるのです。「どうして」と訳を聞かれてもうまく説明できないのです。なまけて、無気力だから学校へ行かないという子どもは、一人もいないのです。そして、みんな行きたいけど行けない自分を責めて下を向いているのに将来大変になるからという言葉は、自分の気持ちをどうして分かってくれないのということになり、反揆が先に立つことになります。そうではなくて、“あなたはあなたのままで大丈夫”と、子どもを信じて応援してくれていると安心できたら、子どもは自分で立ち上がっていける力を持っているのです。親が自分の味方になって応援してくれたら、みんな前を向いて、ちゃんと大人になっているのです。そんな子どもをたくさん知っています。 
 受験シーズンを終えてある母親のインタビューを見ました。その母親は娘が医学部を受験したのですが、すべて落ちてしまいましたと。当り前のことですが受験に合格する人もいるけど、それ以上に落ちてしまう人も多いのです。そしてその娘さんは受験したすべてに落ちその後親に黙っていなくなってしまったと話していました。娘さんは親に黙って1人どこか出かけたようです。そして1人になっていろいろと考えたようです。親の心配をよそに突然帰ってきて親に「もう一度チャレンジする」と言ったそうです。私はその話を聞きながら娘さんははじめて親から自立したのだと思いました。今まで親の言う通りに動いていたのですが、自分でチャレンジすると決めたことで、勉強への気持ちは違うものなったのでしょう。そして、母親は「実は医学部に合格して、医者になりました」と話していました。娘さんは失踪している間に自分のやりたいことは何かと問い、やっぱり医者になりたいと自分で決めたのだと思うのです。 
 子どもは、自分でやりたいこと、好きなことを見つけたとき、親が言わなくても自分がやれる力は誰でも持っているのです。その時、親がさらに後押してくれたら"鬼に金棒”です。皆さんもよく知っている"さかな君"もそうです。小さい頃から勉強よりも図書館で図鑑を毎日のように見ていたそうです。お母さんも珍らしい魚があると切身ではなく丸ごとの魚を買っきてさかな君に見せたそうです。そして、今はさかな博士として活躍しています。それはさかな君だけではなく、すべての子どもに言えることだと思っています。不登校の子どもたちも同じです。親が子どもにとってよかれと思うことでも、逆に子どもにとっては、負担になることもあると思うのです。親の思いと子どもの気持ちが行違うことはあるのです。何より親の思いを押しつけるのではなく、子どもが自分のやりたいこと好きなことを自分で決める手助けをすることが大切です。 

2024年6月竹内春雄 

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