【コラム】2024年1月 えっ"子どもの心ってデータで可視化できるの"?
公開日:2024年01月05日 最終更新日:2024年01月05日
2024年1月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。
----- 以下は参考。テキスト化したものです。-------
えっ"子どもの心ってデータで可視化できるの"?
”子どもの心データで可視化”というタイトルの記事が朝日の一面に大きく載りました。(2023年11月5日) GIGA教育で全国の小中に配布したタブレットを活用して データを分析して子どもの内面を「可視化」するという試みが広がっているという記事です。東京の渋谷区では、それを「教育のダッシュボード」と呼ばれる仕組みを導入したとしています。具体的には、タブレット端末から得られた情報を元に「1人1人の子どもの情報を画面上で一覧」できるようにするということです。その情報とは心の天気「晴れ・曇・雨」のうち今日は晴れとか雨とか1人1人が毎日クリックした情報、また「自殺」「いじめ」などを検索した数、出欠や保健室の利用、学校生活のアンケートの解答、体力テスト、教科のテストの結果など個人情報を一覧で画面に表示されたものを子どもの指導の参考にするという取組みです。
そんな「教育のダッシュボード」でデータの可視化で子どもの心が見えてくる、分かるのでしょうか。データで毎日、晴れになっている子は、問題ない子なのでしょうか。逆に雨ばかりの子は気をつけなくてはというのでしょうか。子どもの心はそんなに単純なのでしょうか。それは大人も同じです。それで子どもの心が可視化ができるとするのは余りにも早計に過ぎると思うのです。それがいじめの予防につながるとは思えません。それをさいたま市も、東京都も2025年から導入予定と書いてあります。
そして中央学院大の谷口聡准教授(教育政策論)の話を載せています。 「先生の「経験と勘」を補う業務を効率化するなどの利点はあるが、日常的なデータ収集は子どもたちのストレスとなり弊害も大きい......大切なことは学校や先生の側がデジタル化の取り組みをコントロールできるか否かだ。本当に必要か、現場のニーズを把握した上でデータ収集のあり方を慎重に検討すべきだ」と結んでいる。
子どもが心の天気として何げなくワンクリックした情報で子どもの心が可視化でき、指導に役立てるという学校教育が行なわれるとすれば、これからの教育が子どもの心に寄添っていけるのか疑問になっていきます。データで人の心が分かるはずはないのですが分かったつもりで指導されたら子どもはどうすればいいのでしょうか。その一面の裏にはさらに"時時刻刻”というコーナーで2つの市の取り組みを紹介しています。タイトルは「心「見える化」子どもを救えるか」で大きく扱っています。そのリード文は「教育や福祉の現場でデータを活用しリスクを早期発見などにつなげる取り組みが進められている授業改善にも使われる例も .........」としているが不登校やいじめは教育現場でのリスクなのかデータで発見できるのだろうか、そのデータは教育の問題の本質に迫る資料になりうるのだろうか。?
その実例として、2つの事例を取りあげています。
ひとつ目は埼玉県戸田市の教育委員会の取り組みを取り上げています。「教師の経験と勘と気合(3K)のみに頼る指導から脱却し、客観的なデータに基づき『教育を科学する』というコンセプトとした取り組み」です。具体的には、欠席・遅刻・早退や保健室の利用数、それから国語や算数などのテストの点数。身長、肥満度。友人関係や家庭での会話のアンケートなどのデータを長期欠席のリスクが高いとされた順に一定の人数をフォローしていくとしているが、これが「教育を科学する」という内容だとすれば?マークでしかないのですが.........
上記のようなデータを教字にしてたとしても、そこから、子どもの心が見えてくるとは、子どもを救えるとは思えないのですが!!
二つ目は、大阪府箕面市の取り組みを紹介しています。支援が必要な子どもを早期に気づき、支援の必要度を判定するシステムを導入した。学力、体力、生活状況に関する調査、そして、生活保護や就学援助、虐待相談などの情報を組み合せ3段階で判定し、教育現場に伝える。それが箕面市の「子ども成長、見守りシステム」の判定のイメージとしていますが、学力や体力、生活保護や就学援助、虐待相談などの個人情報が子どもを理解するために本当に必要なのでしょうか。その情報から、子どもの心が本当に見えてくるのでしょうか。データ、数字から子どもの心が見えてくると本当に思っているのでしょうか。私には当抵理解できないことです。
この2つの市のデータの頃目を見ても、その数字から子どもの何を見ようとしているの でしょうか、分かりません。
そのデータや数字は子どもを区別する材料にしかならないと思うのです。「この子は いいけど、この子は問題がある」という見方は、逆に子どもの心を見えなくすることにつながっていくのではと思うのです。子どもの心に寄り添い、子どもの心に思いを駆せることが大切なのです。一人一人の可能性を信じて、支えていく、その気持ちが子どもに伝わり、安心し活動してみようという心を育てていくことにつながっていくのだと思うのです。データや数字から見えてくるのは、結果であり、そこからは、子どものもやもやとして、何も分からず何も言えず自分でもどうしたらよいか分からないでいる心模様を見ることはできるのでしょうか。難しいと思うのです。そういう中で、数字やデータにたよっても子どもの心の中を想像することができるのでしょうか、決めつけが先に立ってしまうことを恐れます。
タブレットやAIなど、機械にたよるのではなく、子どもがおもしろいと感じることを工夫し、その楽しさを共有していく活動をすることが必要なことではと思っています。管理からは何も生まれないとも考えています。
2023年12月 竹内春雄