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【コラム】2023年12月 広木先生に学ぶパート3 不登校の子どもへの支援について

公開日:2023年12月05日 最終更新日:2023年12月06日

2023年12月の竹内先生のコラム(お手紙)です。自筆を大切にしたいので、ファイルを張り付けています。

竹内先生のコラム 2023年12月 (1.5MB)

 

-----  以下は参考。テキスト化したものです。-------

広木先生に学ぶ パート3 不登校の子どもへの支援について

<「治す」は親中心 「ケア」の心は子ども中心>

不登校のわが子と出会った時に親がまず思うのは、学校に戻れるように何か子どもにしてあげたいということです。最初の相談で親たちが質問するのは「学校に戻すには どうしたらいいですか」です。親から働きかけて学校へ戻す方法です。その発想の前提にあるのは、問題は子どもにあり、それを「治す」ことが課題の中心で、どうしても助言や対応の方法を求め、それを駆使して子どもを変えようとする発想が中心にあるのですと・・

 しかし、ケアは逆です。ケアでは、最も葛藤して悩み、苦しんでいる子ども本人の意思を中心 とした対応だからです。指導や治療という対応とは、本質的に違った対応になります。

この子は今、何に悩んでいるのか何が辛いのか、そして何をして欲しいのか、して欲しくないのか、それを知ることなしに本人に働きかけることは、大変危険なことと考えています。それだけケアの対応は難しいことなのですと。...... 続けて話しています。そして常に支えられているものの意思の理解が中心ですと...... 不登校の場合ならば学校に行きたいのに行けない辛い子どもの身になって本人が何を求めているのか。何が辛くて、何が嫌なのかなどを聴き取り、それに応えるように話しかけることです。そうやって、信頼関係を築きながら本人との対話を重ねていくことですが、聴いてもらえた、分かってもらえたと感じたときに、子どもの顔に信頼の笑顔が戻ってくるのですと・・・ なるほどと思いました。親だけでなく、学校も教育委員会も「治す」が中心の思考です。でも、子どもにとっては「ケアー」が大切なのです。自分でもどうしたらよいか分からないのに「こうしたら、あしたらと言われても困るばかりです。その気持ちに寄り添ってもらえたら安心して笑顔になるのかなと思いました。

 不登校の子どもの心を中心にケアーの関係を作るとは、子どもの言葉に関心を持ってしっかり聴き取っていくことです。しかし、これを学んで実践することは大変です。学んで分かったから今日やって見ようと思っても、それが続くのは数日位だと言います。子どもは敏感ですから親のその変化を体験すると「あっ、お母さんちょっと変わったな」と直ぐに分かるようです。そして子どもが動き出したとすれば、それがどんなに小さなことであっても重要な変化です。 ゲームがしたいも大事です。「したい」と言い始めたということは、主体として自己が、 立ち上がる時です。芽生え始めた自己ですから、それが少しずつ育っていって欲しいなあという気持ちで受け入れることが重要です。でも親にとってどうしても許せないという気持ちになるのがゲームです。不安と心配が先に立つからです。「ゲーム依存になるのが心配」という自分の心配が先にくるわけです。そうすると、子どもの「したい」という気持ちが立ち上がり始めた時に、その事実よりも自分の心配のほうが先にきて「何時間もはダメよ。〇時までよ」と言いきまり作りを先にやろうとします。子どもの心よりも自分の不安と心配を減らしたい。 という気持ちに打ち勝てなくなるからです。子どもの心の傷を癒やし、育ち直しを支援するで何より大事なのが、この葛藤を越えて、初めて出来るのが「ケアー」なのですと・・・ スンナリと子どもの心をケアできる親になるのは本当に難しいのだなと思います。 何回も何回も行きつ戻りつを繰り返しながら、子どもの心のケアーへとつながっていくのだと。そのためにも親の会での交流していくことの大切さを思っています。一人ではできないけど、いろいろな人の話を聞きながら、子どものしたいという心を大切 にしていいのだ、自分の思いや願いではなく、子どもの心に寄添うケアーを。

 

<「わが子」を一人の人間として尊重できますか>

 ありのままの子どもを理解し、そして受け入れ続けることが不可欠だと強調してきました。 目の前にいるのは「わが子」ですが考えて欲しいのは、それが「一人の人間」であるということです。 ところがわが子を「一人の人間」ととらえることは難しいのです。「わが子」と思う気持ちには 「自分の分身」という想いが込められています。苦しむわが子を見ながらイライラするのは、そのためのことが多いようです。「わが子」を思う親の心にはどうしても「自分の気持ちを分かってよ「どうして分かってくれないの」と自分の思いが先に立ってしまいます。そして、子どもは辛くても、苦しくても、親や教師を驚かせたり怒らせたりしないように考えて、自分の気持ちを語らない、語れない子も多いのです。そして、自分が口にした言葉が受け止められ、理解される体験をしたときはじめて子どもの不安や苦しみが癒やされ、和らぐのです。「わが子」を苦しみを抱えた「一人の人間」と捉え、同時にその不安や苦しみを理解しようと、その子の言葉にしっかりと耳を傾け、受けとめる姿勢を貫くことが重要なことだと考えています。・・・ 子どもが「ゲームを買って」と要求を自分から言い出したとき「えっ、ゲーム」と思うのではなく、その中身よりも話しかけてくれた行動と、要求を出すという働きかけができた事実が重要なのです。子どもが自分の考えにこだわり続ける親に反発を感じていたら、子どもは、何か言いたいと思っても言わずに暴言や暴力などの行動で表現することが多いのです。「どうせ、何を言ったって無駄だ」と思うからです。そう思って言わないはずの子どもが話しかけてくれた」というこが大事なのです。それは「今のお母さんなら、話したことをちゃんと聞いてくれるかも知れない」と感じたときです。子どもから話しかけられた時は親が受けいれられた時でもあるのです。何回も親が子どもを受けとめる」「受け入れる」と言ってきましたがもっと大切なことは親が「子どもから受け入れられた」と感じられることです。「よく、お母さんに話てくれたね」「分かった。話してくれてありがとう」という気持ちが大切なのです。親はどうしたらと不安で自分の思いを伝えよう分かってよと、子どもに働きかけようとするのです。 が子どもは自分の辛さを分かってくれないと行き違がってしまうのだと思いました。自分のことを 思っていると感じたとき、子どもははじめて心を開くのだと思いました。

パート3 20237月 竹内春雄 パート4へ続く

 

 

 

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