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基礎講座①「用水の果たした役割 part.1 多摩川右岸を中心に」

公開日:2019年07月22日 最終更新日:2022年01月06日

タイトル 基礎講座①「用水の果たした役割 part.1 多摩川右岸を中心に」

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令和元年6月22日(土)、かわさき市民活動センター会議室A・Bにおいて、当団体の令和元年度事業の基礎講座①が実施されました。

梅雨の合間の薄曇りの天気のなかでしたが、17名もの方に参加していただきました。

講師は一昨年度・昨年度に引き続き、神奈川県立歴史博物館学芸部長の望月一樹氏をお迎えして、「用水の果たした役割part.1 多摩川右岸を中心に」と題して講義していただきました。

定刻どおり10:00に開始し、当団体代表の江原よりミューラボの紹介があり、その後、本日の講師望月氏の紹介がありました。

そして、ご本人より挨拶と神奈川県立歴史博物館の紹介があり、10:12より講座が始まりました。

まず、講座は多摩川の概要の説明から始まり、次いで稲城市の大丸から取水され、川崎市域では菅・中野島・生田・登戸を潤した大丸用水について話されました。

10:23から大丸用水の取水口について、10:30ごろから流路についての話があり、取水口から現在の川崎市域の村々にどのように水が流されたか、絵図を用いながら講義されました。

10:46からは大丸用水がどのように管理されたか、それぞれの村々がどの程度、大丸用水に依存していたかなどの話がありました。

10:58からは多摩区内の二箇所から取水される二ヶ領用水に話が移りました。こちらも絵図や概念図を用いながら、最初に概要について、次いで二ヶ領用水の取水口について、取水口の変遷に関する諸説を含めて話されました。

11:07から流路の話になり、上河原堰から分量樋、川崎堀の七つ堰について、どのように分水されたかなどの話がありました。

11:14からは用水の維持管理について、二ヶ領用水を利用する村々がどのように用水組合を組織して、その村々の用水への依存度と負担率の関係などが語られました。

11:24頃から近代以降の二ヶ領用水の利用方法として、横浜開港地での上水道として一時期利用されていたこと、昭和以降工業用水として使われたこと、昭和11年以降に改良工事が行われ円筒分水の設置や流路の変更が行われ、現状に至っていることなどが話され、最後に二ヶ領用水の現況を写真で確認して、11:41に講義が終了しました。

その後、質疑の時間をとり、参加者より「『多摩川』と『玉川』」の表記の違いは何か」「二ヶ領用水は江戸時代の人にどのように呼ばれていたか」などの質問がありました。11:46に質疑は終了し、講師の望月氏が退出されました。

次いで当団体から10月以降に行われる現地見学のガイダンスが各コースの担当者からあり、定刻の12:00をやや過ぎる形で全て終了しました。

お忙しい中、望月氏には充実した講義を行っていただき、また参加者も熱心に聴講していただいたお蔭もあり、今年度も盛況なうちに基礎講座①を終えることができたと思います。

参加者から、「大変楽しかった。予想以上に興味深い内容があった。川崎の水が横浜で利用されていたことがあると聞いて勉強になった。今後、ブラタモリが二ヶ領用水に来ることを期待したい。会場は明るく、スタッフも丁寧だった。」との嬉しい感想をいただきました。

今回の内容と、7月中に行われる基礎講座②③の内容をあわせて、10月以降の現地見学に繋げていきたいと考えています。

なお基礎講座③、現地見学の各回については参加者募集中です。お申し込みをお待ちしております。

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