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10年目のフクシマ その5 原町区小沢下戸屋迫  ―田んぼもできず、人も住めない訳とは?

公開日:2021年05月21日 最終更新日:2022年01月06日

タイトル 10年目のフクシマ その5 原町区小沢下戸屋迫  ―田んぼもできず、人も住めない訳とは?

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「ここが畑かって」
「いいや、皆な田んぼだった。
だけんじょ、今は米さ、つくられんようになってしもうた」。

ここは南相馬市原町区の小沢下戸屋迫(こざわしもとやさく)。原発から20㌔圏内の同市小高地区に近い、高台に位置している。しかし、津波はこの高台をも飲み込んだ。

2013年頃、この高台の崖っぷちに流された家屋が見られた。2017年頃まで解体されない家屋が残っていた。しかし、今は1軒の家もない。ただ、ビニールハウスの残骸が残るだけ。太陽光パネルが設置されているだけ。海沿いには防災林も。

なぜか、行政の作った「津波浸水区間 ここまで」はこの崖の下にある。

軽トラでここに来た年配のおじさんに声をかけた。

「水がないからさ。したがら、以前のように作れん。前はポンブアップして水を上げていたんだ」。

「人も住んじゃいかんという。だけんじょも、だっれも、農地を買ってくれんのさ」

「ソーラでもやるしかない。(高台にあるバネルにさして)あそこもそうださ。
風車は作ろうとしたけれど、採算とれないとかさで中止に」。

「おれはここに花でも植えようか、と来ているのさ」

「ここに天明時代の移民農民がいってか? あの人たちは浄土宗。1軒はあったなあ」。

取材撮影:2021.4.9 
(なお、会話には福島の方言風に書いていますが、正確ではありせん。福島の方言に詳しい方は間違いを訂正していただければ、幸いです。)
崖物の家屋 2013.8.3 撮影

【荒地を切り拓いた浄土真宗移民 北萱浜歴史】
file:///C:/Users/fwhw5/Downloads/%E5%8D%97%E7%9B%B8%E9%A6%AC%E5%B8%82%E5%8C%97%E8%90%B1%E6%B5%9C%E5%9C%B0%E5%8C%BA.pdf

引用
南相馬市の環境カウンセラー長澤利枝の現地レポートより
https://www.minnanoecu.com/%E5%BF%98%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%A7-%E7%A6%8F%E5%B3%B6/

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