被災3県の旅その4新校長に猛反発した地元女先生の意見が、子どもたちを救う
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「この南三陸の志津川湾はいつもおだやかです。あの日、この海があばれだしたのです」と南三陸ホテル観光の語り部は話す。「あそこの黒い2本の鉄塔のようにみえる間に(3階建ての)戸倉小学校がありました」。
ある日、新任の校長先生が赴任。北海道の奥島の津波のことを知って、「3分間で津波がきたので、高台に避難するより学校の屋上に逃げるようにしたらどうだろうか? 」と教職員に提案した。それに、地元で育った女先生が猛反発。「日本側と太平洋側では違う! 高台に逃げるべきだ」。これが決まらない。2年越しに。校長は最終判断し、高台とした。「これが良かった」と語り部。でも、防災訓練のとき、近くの保育園児は指定された小学校の屋上に逃げ、小学児童とすれ違う。「なんかおかしい」
そしてある3.11が来た。校長先生はいつものように屋上へ行く鍵を用意していた。しかし、先に保育園児が高台に逃げているのではないか。
高台に上がった。しかし、様子をみて、2度目の避難を開始、神社に上に上った。
あの日は雪がちらつく寒い日。でも帰れない。保育園の園児18人値、児童91人の他170人余が避難して、一夜を頑張った。
神社=右下=の中から小学生の歌声が聞こえきた。3.18の卒業式に歌うために練習が重ねてきた「旅立ちの日「だった。(you tubeの歌、たぶんhttps://gyutto.site/8RU4 )高台に残った住民の何人かは亡くなられたようだ。
今、この神社の砦の横に「東日本震災記念碑」石碑が2012年11月に建てられた。
未来の人々へ 「地震があったら、この地よりも高いところへ逃げること」
防災対策庁舎
「ここで最後で放送していたお嬢さんは、姪の同級生でした。
岐阜に移った姉が、電話で泣きながら『志津川が流されていく』と叫んでいました」。face bookのコメントから
神社への階段
神社
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