南三陸ホテル観洋:震災「語り部」バス毎日運行、自施設を震災遺構に
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宮城県三陸町の「南三陸ホテル観洋」は毎日「震災を風化されないための語りバス」を運行している。私たちのように宿泊者以外も無料で乗車できる。約1時間の語り部は地元で生まれ育った渉外部長の伊藤文夫さん(77)。また、第一営業次長の伊藤俊さん(防災士)は「仕事じゃなくて、何かやらないといけないと思うからだ。2012年から毎日休むことなく続けている。一対一ことも。ほとんど(震災のことを)忘れさられている中、なかったことにできない」と話す。
このホテルにも最大20m以上の津波が襲来し、2階大浴場まで津波が浸水。電気・水・道路などライフラインが立たれ孤立状態となる。「余震が続き段々と暗くなっていく中、皆様に夕食をお配りしました。スタッフは笹かま一枚。その日のうちに厨房にて食材の在庫から一週間分の献立を作成し、提供を開始」(「3.11の記憶」のパンフレットから)震災から7日目の3月17日にご宿泊者全員が無事チェックアウトしたそうだ。
系列の「高岡会館」にも地震約40分後15m以上の津波がやってきた。当日、高齢者芸能大会が行われていた。会館は海岸から約200m。館内にいた若い従業員は「大津波がくるはずだ」と判断して、「生きたかったら残ってください」と屋上に避難させた。しかし、従わなかった8人は全員死亡。津波は屋上まできたが、出席者、近隣住民、従業員の327人と犬2匹の命が救われた。「私たちの経験・記憶を多くの皆様にお伝えすることで、将来の防災・減災にお役立てていただければ幸いです」とこの会館を震災遺構として登録し残している。
一方、「南三陸町防災対策庁舎」では、屋上に避難したが、43人が犠牲となった。その場所は鉄骨の骨組みだけ残し、公園として整備されている。鉄骨にはペンキが塗られた。「新築のビルの骨組み?」「現代アートですか? 」ということも聞かれるそうだ。
「人口が30%減った。今でも続いている。震災を伝えるのはしんどい。でも、やめてはいけない」と伊藤次長は語っていた。
(この語り部の話はその4に続く)
語り部バスは現在無料ではありせん。
訂正させていただきます。
https://www.mkanyo.jp/%E8%AA%9E%E3%82%8A%E9%83%A8%E3%83%90%E3%82%B9/
南三陸町防災対策庁舎
津波の現場「高野会館」
記念碑
この情報は、「フクシマを忘れない会」により登録されました。